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宝扇堂について

​宝扇堂は、文治年間(1185年)に後鳥羽上皇の病が重く、京都五条新善光寺住職の一遍上人は、扇に呪文を封印し、帝の病平癒を加持した。ところが直ちに、帝の病は快癒し、その功により"阿古女扇"の名を賜い、都の人はこぞって扇を使用するようになった。その後、新善光寺では、その事業を称えて、一遍上人自作の像を祀り、御影党と呼んだそして、その境内で、扇づくりが盛んになり、各職場に宝阿弥、久阿弥、京阿弥、真阿弥、などの阿弥号を朝廷より賜るに至った。

元禄元年、お国歌舞伎の流行とともに、江戸時代文化が開花し、京の久阿弥も、新開地江戸に下り、観音様お膝元の浅草に店を構えた。(宝扇堂久阿弥由来記より)

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扇子は一番小さな舞台装置

一般的に夏の猛暑時に使われるイメージが強い扇子ですが、日本舞踊の

世界では扇の柄は、演目によって長い歴史の中でつくられてきた決まりごとのようながあり、舞台・演目ごとに合わせた柄のものを使います。扇子は、演目の世界観を表現するためのいちばん小さな舞台装置と言い換えることもできます。小道具と一言で片づけてしまうにはもったいないほど時間と手間がかかり、1本1本職人が手作りで作成している為、1か月以上かかることもよくあります。

(株)宝扇堂

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